お題箱返信・2023年5月18日


相変わらず返信が遅れておりすみません!まとまった時間が取れる時にちょっとずつ返していくのでよろしくなのだ。

勇尾のオタクがこころ好きなの分かりすぎ。(私もそうだし)

「私」くんの屈託のなさ、明るいほうへに連れ出してくれる若さはすごいし、決して真面目なだけではなくちょっと先延ばし癖があったりとかの健全な大学生としての「普通さ」が一貫しているところ、光なんですよね。

この二人のハイブリッドっていうのもかなり分かって、勇作はぽやぽやしてるだけじゃなくて軍国主義のめちゃくちゃ頑強な信念に身を投じてるから、Kの精進主義と近く見える部分は確かにある。で「壁寄せ」という勇尾特有ワードで笑ってしまいました。光景が分かるし。


それで「粘っこい若葉の季節は……」という時候のあいさつも癖好きすぎてめちゃくちゃ笑ったし、思わずカラマーゾフのフォロワーに「最高のおたよりだ」と見せびらかしてしまいました。ねばねばする春の若葉(亀山訳)のこと一生擦っていきましょうね。




p活検討フォロワーの続報だ……!!!!あれがまず何よりも精神を摩耗させる行為であること、を知ったうえで検討してもらえて、本当によかったです。止めるだけでは現実的な部分での助けにはならないから、無力だ、と思っていたんだけど、せめて心の支えになれていたのならとても嬉しいです。私も書いてよかった。

贅沢がしたいわけではないのに普通に生きるというだけのことがとても難しいのは、私も日々痛感している。働くことは本当にしんどいし。死にそうになるし。でもインターネットがあって、こうしてみんなといられるから疲れ果ててベッドに倒れこむだけの日でも楽しく笑っていられるんだよ(超てんさん)


こうして経過を報告してくれて、ご自身も大変だろうに私のことを気遣ってくださって本当にありがとうございます。余談だけど、私も精神状態があんまりよくなかった時に幼少期からの持ち物、ぬいぐるみ、日記、手紙などを「災害に遭ったつもりで」全部手放してしまったから、それを思い出した。まあ、人生、記憶があれば物質に固執することはないと思ってやっていきましょう。




ハッピー情報ありがとうございます!!!!!!!!あなたのような優しい人の存在を信じてお題箱を開放しています!!!!!!!!

島原に並々ならぬ思い入れがあって逆に当時見れなかったんだけど、いつかは見たいと思っていたので。この機会に見てみようと思います。またツイートでなんか言うと思います。





「できない完璧主義」は私もずっとそうだったし周囲にもそういう身内、知り合いが多かったからよく分かる。私も朝起きられなかったり、提出物ができていないことを過度に思い悩んで学校に行けなかったことは何度もあるし(小~高まで断続的に不登校だった)、身内は全く同様の問題で大学を中退したりしてます。


大学に行けなかった日はいつもカーテンを閉めたままの部屋で「私ってこんなことさえ普通にできないなんて死んだほうがいいなー」と思いながらベッドで丸まっていた。1限からフルの予定だったのにようやく家を出て学校についたらもう5限の時間で、1コマだけ出て帰って「私って本当に何してるんだ」と死にたくなったり。

でも今思うとそんなことはどうでもよかった、と、雑な言い方になってしまうけど思ったりもします。学校なんてぎりぎりでも卒業さえできたらいいので、それよりもずっと、自分の心を守ってあげたほうがよかった。折角メイクしたのに学校さぼっちゃったら「実は今日は遊びに行くために家を出たんですよね……」と思ってカフェにごはんを食べに行ったりしてもいいし、「なんか早く帰れてラッキーだな~」と思って家でごろごろしていてもいい。どちらにせよ講義を受けなかった、という同じ事象が起こっているだけなのだから、わざわざ自分を苦しめる解釈をする必要はないのです。


社会に出てより強く思うけど、「真面目さと責任感の強さは決して自分を守ってはくれないし、むしろ自分を傷つける刃としての性質の方が強い」というのは真理じゃないでしょうか。

それは良いことのように、正義のように語られることが多いから勘違いしてしまう。けど、「できなかった」時の罪悪感は、曖昧な主観のくせして平気で人を殺してしまえるほどの代物なのだ。私たちはもっと意識して自分を守っていかなくちゃいけない。「遅刻してしまった、こんな態度じゃ単位も落とすし将来も働いていけない、ちゃんとしなきゃいけないのに」と思うこと自体は否定しなくていいけど、「ああ、今のは自分を傷つけようとする言葉だな」ということには自覚的である方がいいと思います。

これは仕事で失敗した時に私もよくやるから自戒でもあるんですけどね。ごめんなさい、すみませんでした、と自分を責めてもその態度で誰かが褒めてくれるわけではないし、何をしでかしてもけろっとしている同僚を見ていたら「もしかして私もこれでいいのか?」と思うようになってきて。


多分私が真っ暗な部屋のベッドで泥のようになっていたのと同じ頃、無敵の同僚は学校に寝坊しても「あちゃー しゃーなし今日はゲームでもするかー」とでも言っていたことでしょう。でも二人とも同じように卒業して同じ職場で働いている。その事実を思うとき、私は自分の過去を少し勿体なかったと思うのです。

あんなに責めなくてもよかった。これは今だからこそ言えることで、当然あの頃はそんな風には思えなかったから、考え方を変えることが決して一筋縄ではいかないのはもちろんそうです。私は身内にも頑張ってほしかったけど、私は結局一番身近にいる人のことをこういう言葉では助けられなかったわけだし。


彼女も極度の完璧主義で、多分何と言われても学校を辞めた自分のことを自分で許せないでいるだろうと思う。その姿は本当に苦しそうで、呪いにかかっているようなものだ。「こうしたら治る」という明確な答えはここにはないし、その回答は結局のところ自分の経験から拾い上げていくしかない。ただ、世間のテンプレート的な回答だけではなく、多くの人の生き方を見て知っていくこと、何かを得ようとするのを諦めないことだけは必要だと思う。探し続けていれば、いつか出会える時が来るかもしれないですよ。疲れたときは自分を許すための言葉を忘れずにかけてあげながら。






水沢教会

マシュマロ回答コーナーと化している

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