2022/11/01・お題箱返信
今までお題がテーマ制だったこと一回もないよね?なんか、前にお題箱を開いたとき愛に飢えてたんだろうな。そういうこともあります。
私の気まぐれにちゃんと応えて愛を伝えてくれるフォロワー♡ ありがとう♡
キリスト教以外では、仏教についても一時期興味を持って調べていたことがあります。
仏教はなかなか一括りにできるものではなく、宗派によって別の宗教では?というくらい教義が違うこともありますが、私が一番共感できると思うのは原始仏教。釈迦が生きていた頃に説いたそのままの思想です。
「一切皆苦」の思想は、どれほど恵まれた環境にいても多かれ少なかれ苦痛を抱かざるを得ない人間というひ弱な存在に対する許しでもあるように聞こえる。
辛い辛いと言っていると、そんなふうにしたばかり見るなとか、ため息をつくと幸せが逃げるとか、そういうことを言われる社会において、「生は苦しみに満ちていて当然」とこれほど力強く断言してくれる宗教が身近にあるのは嬉しいことだと思いますね。実際にそうなのだから。
私はキリスト教以外の宗教に対しても、何か善いものを信じようとしている人々のいる場所には等しく尊敬の念を感じる。ほかの宗教が気に入らないと思ったことはないよ。私がこの世から滅ぼしたいのは、そういう善き人々を軽蔑なり罵倒なりする「自称」無神論者だけだから……。(思想の急カーブ)
これ非常に難しくて1ヶ月ぐらい考えた。そうだね、確かに自分の愛する世界がコンテンツとして資本や消費に回収されていくさまを見るのはやっぱり苦しいところがある。それはムーミンに限らずどんなものでも同じだと思うけど。
ただ最近思ったのは、世の中には「ものを買う」行為それ自体に喜びや楽しさを感じるタイプの人間がかなり多く存在していて、私たちが粗暴に感じてしまう消費主義的な企業のやり方は、そういう人たち向けの展開なのかもしれないということ。
「ポップアップストア」というものの売り方はかなりそれを体現している。何か展示を見たりするのではなく「ものを買う」ことを目的として形成された場所に行き、消費行為を楽しむ。オタクコンテンツでよくある「〇〇展」みたいなのも、展示と同じくらい物販がメインコンテンツになっていたりする。
別に私たちはそれを責められないと思う。「好きなものをたくさん見て、自分の手に入れたいものを選ぶ」という行為は彼らにとって本当に楽しいことなんだと思うから。あるいはトレーディング方式のグッズに関しても、私は嫌だなあと思うけど「欲しいものが出るまで引く」ことを本気で楽しんでいる人もいるんだよね。利益追求を過度におこなう企業と同じくらい、「消費そのものを娯楽だと感じている人」が大勢存在することが資本主義を支えているのが現状。
ポップアップストアとかコラボカフェみたいな場所でグッズを買ったはいいものの、あとで興味を失って未開封のまま仕舞い込んだり売りに出す、という人がどれだけいるかは然るべき場所を見ればわかる。資本主義憎悪同盟のなかまたちとしか交流していないとあまりそういう人の存在も見えないけどね。
だけど、「じゃあ買わなきゃいいじゃん!」とは言えないのだ。そのときは本当に欲しくて、売り場を見ることが楽しくて、手に入れて嬉しかったのだとしたら。「好き」を表現する方法が金銭の使用に限定されていく風潮は資本主義社会を憂う場合の目線で見ればあまり良くないことかもしれないけど、個々人が愛するものに対してそういう楽しみ方の姿勢を持つことは決して悪いことではないと思うから。
私たちがあるコンテンツを読んで幸せな気持ちになったり、それについて考えたことや好きな箇所を話し合う行為を娯楽とするのと、彼らが同じものを好きだと感じて、グッズを買って手に入れることを娯楽とするのは、ただ方法が違うだけなのかもしれないと感じる。そして、本質的には企業は後者の人々の要請に応えている(ちょっとばかり購買意欲を煽る手法を紛れ込ませながら) というのが、今の社会の状態なのだろう。
だからまあ、自分の好きな世界についてグッズがじゃぶじゃぶ売りに出されて「消費のためのコンテンツ」みたいな扱いに見えてしまうのは辛いかもしれないけど、私たちとは「楽しみ方」が違う人たちのためだ、そして彼らもやり方は違っても同じようにそれを好きでいることは事実なんだ、と思うのがいいかもしれません。
ムーミンは特に、元の世界観や思想が「キャラクタービジネス」とはかなり縁遠いところにある分、サンリオやスヌーピーなどと同じような展開をしているのを見ると違和感を抱いてしまうのは分かります。でもグッズ収集の面でムーミンを好きな人がいる一方で、全然違う場所であなたのような人がムーミンの世界を愛していくことは両立すると思うから。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。
なんの本か気になった。もしよかったら教えてください。「他人が自分を責めないから、自分で自分を責めるしかない」みたいなのは、私もカラマーゾフの兄弟を読んだときにほとんど同じような理由でああ…………。となったことがあります。裁かれたい、罰を受けたい、なぜなら罰を受けることによってしか自分はもう二度とまともな自分には戻れないから。
それで誰も自分を罰してくれないなら、自分でするしかない、という方向に行ってしまうのでしょうね。
私もマガジンで前に「わたしの代わりに叫んでくれる人」というタイトルの記事を書いたけど、物語の中でも、自分が我慢しているしかなかったことに全力で反抗して、叫んで、そのために死んでくれる人の存在はとても救いに思えます。私にとってはハムレットとか、オベロンとかもそういう点でまぶしく思えるなあ。
そういう叫びの代弁を経験できるのは物語を読むことの本当に良い恩恵です。読書の秋、みんなで楽しんでいこう!
そう言ってもらえるとバーチャルツイッタラーとして活動している甲斐もあります。かつてのわたしみたいに死にかかっている人に希望は残っているよ、どんな時にもね。(カヲル)ということを伝えたくてインターネットをやっているんだ〜。
私も人生のかなり長い間、いつか人を殺すと思って生きてきました。それは空想でも冗談でもなくて、もっと切迫した危機感として。
何年か前に「『死刑になるかもしれない』と思いながら生きてきた人が、この世にどれだけいるだろう」というnoteを上げた。私は本当にいつか死刑になると思ってたし、自分が絞首台に立つ夢も見たんだよ。あなたは多分、こんなふうに思って生きているのは自分だけだ、という絶望の中にいるのかもしれないから、そうではないということだけでも分かってもらえたらいいなあと思ってその記事の一部を貼ります。あまり良い話ではないからもう昔の記事は消したんだけどね。
いまはそういう風には思わない。だけど「どうして思わなくなったのか」ということへの答えはすごく難しくて、ただ自分の生きている世界が前よりずっと優しいものになったから、人を殺さなくてもよくなった。そういう風にしか答えられない。究極的には少しでも自分の息がしやすい場所を目指していくことでしか解決できない問題だと思う。
ただ恐らくだけど、質問者さんの精神状態には過覚醒とか躁状態に近いメンタルヘルスの問題が絡んでいるから、ひとまずそういうのを抑える薬は必要かもしれないですね。まだ病院にかかっていなければ、行ってみれば解決の糸口が掴めるかもしれません。もうかかっているけど効果がないのではれば、症状を伝えてより合う薬をもらえるように試してみてください。
あなたもいつか罪を犯さずに済んだ世界の景色が見られますように。
自分は少しでも仲良くやっていきたいと思っている相手に、そんなふうに言われたら辛いね。泣いてしまうよ。
昔の私なら迷わず「辛いかもしれないけど関わらないほうが自分のためには良い」って言っていただろうなあと思った。今は少し違って、理屈では離れた方が自分のためなのだとしても、でもそれだけでは割り切れない思いがあることも分かる。
家族という関係は、逃れがたい愛着を抱いてしまうからこそ魂の故郷になるし、そのゆえに呪いでしかない。そして思いはどちらか一方に偏るだけなのではなく、呪いに対してそれでも魂の故郷だと感じることもあり得る。
虐待を受けて育ってきて、親のことを許せていないけど、それでも親という存在を愛しているから、大人になっても何度も会っては辛い思いをしている人。私の身内にまったくその通りの人がいて、私は「会わなきゃいいのに」とずっと思っていたけど、それで済む問題じゃなかったなあといまは反省している。
いくら傷ついても縁を切るのは難しいですよね。だって今さらそうできるくらいなら、一番辛かった子供の頃に親を見捨てていたはずだから。
私も少し近いところがあるから思うけど、多分親のことを色々とぐるぐる考えてしまう時って、自分のメンタルもあんまり調子が良くないときなんじゃないでしょうか。
予定を立てて会うってなるとメンタルと都合を合わせるのも難しいかもしれないけど、できるだけ「今なら何を言われてもそうそうダメージを受けないな」という心身ともに健康な時期に親とコンタクトを取っていくのが最善なのかなあという気がしています。
そんな健康な時はないっていうのなら、やっぱりまだ会ったり、話をするべき頃合いじゃないのだろうと思う。質問者さんはもう何十年も親御さんといるからさすがに相手の方を変えるのはほとんど不可能だとご存知だろうし、やっぱり自分の側がうまく対処できるようになる以外ないんですよね。
どうか自分を守りながら関わっていく方法が見つかるといいですね。応援しています。
アアーーーー情報ありがとうございます!!野村萬斎さんは確か今年の頭ごろにもハムレットの朗読劇?をやってたけどあれも見逃しててチケットを取れなかった記憶があります。
今度こそ取れるように頑張ります……!!フォロワーのみなさん、再度のお願いですが、都内近郊でハムレットの上演情報があったらいつでもみずさわに教えてください。
私の言葉をそんな風に受け取ってもらえることもだけど、それをこうして伝えてくださったことが嬉しいです。何年インターネットをやっていても、やっぱり本当ならノートにでも書いているしかなかった言葉をだれかに伝えられてこうして好きだと言ってもらえることは奇跡みたいだなあと思う。
これからもみずさわを見てて……。
やめたらいい!!!!やめたらいい!!!!
私はいままで本当に仕事が続かなくて、20代前半ですでにめちゃくちゃな数の職種を経験してるけど、一番最悪なのってだれも新人に仕事を教えようとしない職場だから。
新人に優しくない職場は長くいる同僚にも優しくないし、上司は部下に興味がないし、工場みたいなコミュニケーションをあんまり必要としないところならまだしもそれで事務とかの仕事をやっていくのは本当に無理だと思う!!!!!!!!
入って2週間でその状況だったら、能力も関係ないし、自分を責めることないですよ。私は前の会社を辞める直前、「もうすぐ辞めるから新しい仕事与えても仕方ないし……」ということでみんなが作業をしているデスクで特になんの仕事も与えられず4時間ぐらい座っているだけの日があって、私はこの世に居る価値のない存在……と思って泣きそうでした。
相談とかして状況が改善しそうなら続けていけたらそりゃ良いんですけど、新人さんが放置されている状況にだれも疑問を抱かない時点であんまりナイスな職場じゃないと思うから、次はいい仕事が見つかるといいですね!グットラック!
幼少期をムーミンと過ごしたのいいなあ。私はこの歳になるまで触れたことがなかったので何もかも新鮮でしたが、子どもの頃見ていた人からするといま本を読むと懐かしさがすごかったりするのかなあ。
コミックス版はムーミンパークのライブラリに置いてあるのをちょっとだけ見ました。原作を全部読み終わったらコミックスに挑戦してみようかな!ありがとうございます。
ダークウェブにいると本当に知り合いが自殺しちゃうことってある。私の周囲にも亡くなった方がいます。それで「本気で死にたいと思っている人を止めることはできるのか」ということは結構ずっと考えていた。
私は、当人が本気で死ぬ覚悟を決めた状態だったら止められないし、もうそこに至ってしまったのなら止める必要もないと思っている。相手が本当に望んでいたのなら「ようやく苦しみのないところに行けたんだね」と思ってあげることも間違ってはいないとすら思う。
だけど「もう死のうと思っている」と周囲に溢すのは、その人の心にまだ悩む余地が残っていて、本人が自覚しているにしろいないにしろ助けを求めているということでしょう。あるいは「止められるものなら誰か止めてみろ」という挑発とか、「自分はこんな大それたことを決心したんだ」という自慢を孕んだものかもしれないけど。
それに答えるのはいつも難しいね。自殺の予定を告げられた人はいきなり命をかけた問答の場に立たされることになって、それは本当に理不尽な事態だから「自分が間違ったことを言ったらこの人を死なせてしまう」なんてことは思わなくていい。私もだいぶ何度かその相談には乗ってきたけど「自分の言ったことが偶然相手に響けば思いとどまってくれるかもしれない」という、本来なら無かったチャンスを与えられただけだと思うようにしている。
何がきっかけになるか、正解は分からないから、結局は自分の思ったことを相手を思いやりながら伝えていくことしかできないと思う。それは自殺が関わらなくたっていつものコミュニケーションだって同じこと。冷めているように思えるかもしれないけど、このことに関しては、そもそも相手が本当に死の間際まで行ってしまったら、人にできることはとても限られていると思っているからです。
誰かの自殺を止めるために一番有効な手が取れるのは、死の間際じゃなくてそれよりもっともっと前の段階だから。鬱のなり始めとか、相手がこの世に希望をなくしかけている時とか、そういう時なら病院を勧めたり一緒に楽しいものを探したり色んなことができる。そして精神病の人にとってはそういう時期が一番、誰からも深刻な目で見てもらえない辛い時期だから。
私が希望を失わないでって一番言いたいのはそこにいる人たちに対してなんだけど、それは死の間際にいる人にはどんな言葉も意味を為さないさまを何度も見てきたから。もちろん、救えることもあるけど、語弊を恐れずに言うと最後の時点での引き留めは運ゲーでしかないと思っているから……
質問者さんがお知り合いの危機に際してそれほど動揺したのは、人に死んでほしくないと思う優しい心があったからだし、そのために何かしたいのにできない、という葛藤があったからでしょう。色々言ったけど一番確実なのは「自分が引き止めたいと思ったら止めればいい」ということです。最期かもしれないのに自分の思ってることも伝えないでどうするんだ。
身近で自殺未遂があると後々までふとした瞬間に考え始めてしまって影響を受けやすいものだけど、あまり引きずられすぎないように頑張ってくださいね。できればゆっくり休んでください。
0コメント