お題箱返信・11月まとめ
大事故が起きて生活が"壊"になり、再び安住の地を失って放浪したりなんか色々しております。だけど、最終的には生きていかないと!と思えるのは、きみたちがいるからだよ!救済を信じろと言っている私がそれを信じなくてどうするのか。はげましのおたよりを沢山ありがとうございました。おかげさまで生き延びようという元気も出てきます。
僕も……好き……!!!♡
まったくなのです!波乱万丈だけれども、こうして声をかけてくれる誰かがいるというだけで私はとても恵まれているということを痛感します。優しいあなたにもどうか安寧がありますように!
本当に寒い、寒すぎる、この世はどうしちゃったの!?(冬になったんだよ〜)
みなさまも、風邪など引かないように暖かくしてちゃんと眠ってくださいね。お気遣いありがとうございます。
何もかも見てくれて本当にありがとうございます……!!!!それも、こんな素敵な言葉で私の創作を表現していただいて光栄な限りです。
世の中には舞台上で光を浴びて輝かしい人生を送れる人間よりも、そうでないまま一生を終える人々の方がずっと多い。でもそれを絶望だとは思いたくない。痛みが深ければ深いほど、ほんの僅かな光が救いに見えて、その時に初めて、自分の痛みには意味があったと言えるようになるのだと。それを言いたくて必死に書き続けている。そのことが誰かに伝わっているのなら、こんなに嬉しいことはないです。
どれほど拙くても書き続けなきゃいけないなと、改めて思いました。伝えてくださってありがとうございます。
私の言うことになどなんの意味もないのかもしれない、と、時々思う。思うたびに、どれほどわずかでも「それが助けになっている」と言ってくれる人がいることを思い出して、また立ち上がれるような思いがします。きっと何もかもを解決するようなことはできないけれど。それでも、私は私を見てくれている人のことを信じなければ。ありがとうございます。そういう言葉のおかげで、私はまだ立っていられる。
一番しんどかった時、本当に嬉しかったです、このように言ってもらえたことが。本当は身内一人助けられない人間がここで何かを言う権利などあるのだろうかと一度は思った。確かに私は全員を助けるような言葉を言うことは全然できないけど、私がのたうち回りながらでも生きている様子そのものが誰かの支えになれていたのなら、やっぱりここにいる意味はあったと思って。
全員でなくても、あなたがそういうふうに思ってくれたということがそれだけでとても嬉しいです。そしてこれからも生きていこうと思う。みんな、まだ諦めないで、と祈るように言い続けるために。
あなたの目で世界を見てみたい、すごく、愛…………で照れてしまいますね こんなに褒めていただいて畏れ多いと言うべき素直にえへへと言うべきか悩んでいます!
私は私で常に苦しみながら文章を書いているので、力及ばずと思うことばかりなのですが。心が折れかけたときにはこのおたよりを見返して自信を取り戻そうと思います。
私を羨ましいと思ってくれてありがとうございます。でもあなたはあなただけの、もっと素敵な世界の見方を手に入れられるはずだから。なぜなら人生、まだまだこれからなので!ぜひともみずさわを越えるぞという気概で人生をやってください。
ふむ、それを実行した結果がわたくしの母親でございますね!ご覧になりますか?
まあ冗談はさておき、最悪家庭出身者が他人に強いられて出生をするとロクなことにならないというのはおおむね普遍的な真理でしょう。きっと一人子を産むと次はまだかと言われ、そのあとは子供を良い学校に入れろとか、早く結婚させろとかまで言われますよ。言われるまま従って、「これは自分の望みではない」と気付いた時にはもう取り返す手段など残ってはいないのだ。
仕事は辞められる、親とも縁を切れるけど、自分が産んだ子供だけは捨ててはいけない。どれほど後悔しても、どれほどやり直したいと願っても遅い、出生とはそういう絶望的な行為だから。
厳しい言い方をしてしまうけど、これはもう誰にも不幸になってほしくないという祈りがために言わざるを得ないんですよ。私の母はそういう周囲からの圧力に耐えかねて二人も子を産んだけど、結局産む前よりも苦しい思いを何十年もし続ける羽目になったから。どちらがましだったか、今なら分かろうというものです。
あなたには目先の痛みから逃れる手段がまだ他にもあるのだから、必ずしも出生を選ぶ必要はない。
あと私は、「償い」など本質的な意味ではあり得ないと思ってますよ。後になって相手に優しくしたって過去にした悪行が「無し」になるはずはないのだから。ごめんと言われたら許さなきゃ、みたいなのは、ちょっと加害者に都合が良すぎる。
家族というのは基本的に加害と甘えの繰り返しで、誰がどれくらい被害者なのか分からなくなるほどぐちゃぐちゃに拗れるのに充分な年月を一緒に過ごしているものだから。全部を憎むことも全部を許すこともできないのが普通なのだと思います。その不可能性に苦しみがある。どちらかに決めたつもりでいると、多分、そのうち心が根から崩壊していくので……。
親御さんには、過去の罪と今の優しさをプラマイすれば、それなりに良好な関係を保ってあげるだけでも充分すぎる報酬でしょう。それで満足すべきと私は思いますがねえ……!
ちょっと辛辣な意見かもだけど、許してにゃ。
短歌はかなり昔からやってるんですよ〜!縁があって初心者短歌教室の講師をやっていたこともあります(謎経歴)拙いながら今もたまに雑誌に載せてもらってたりするんですが、名義の関係でここで明かせないので惜しい。そのうち言える時があったらいいなー。
私はとにかく俵万智さんが好きで、特に「八月の朝」「チョコレート革命」に大きな影響を受けています。
家族にはアルバムがあるということのだからなんなのと言えない重み/俵万智
「チョコレート革命」は不倫の風景を題材としているので好みは分かれるところと思いますが、私は文学として非常に響くところがあって好きです。彼女には無いもの、欲しても得られないものだからこそ「家族」「家庭」という日常のずっしりと迫ってくるような重みが浮き彫りになる。優しげな世界が違った角度で描かれるひりつくような緊張感と、同時にそれを「くだらないもの」と切り捨てることはできない彼女の人間らしさが奇跡的なバランスで成立している。
「彼」は家族という日常にさほど価値を感じず、だから不倫などに興じているのだが、彼女にとっては彼の言う非日常こそが日常であり、家族という関係は星の彼方にあるような疎ましくも眩しい理想である。この非対称性が不健全さに拍車をかけていて、またそれほどの捻れた状況を小説ではなく詩歌という短文で自然に読ませる手腕は本当に素晴らしいです。たとえ読者には馴染みのない出来事でも、暗喩を用いて間接的に共感を想起させることができる力を持つのが詩歌という媒体であり、そこにこそ詩歌の肝があるのだということを教えてくれた。永遠の師です……
あえて「彼女」を「詠み手」と書かないのは、作者と作中の視点人物を完全に同一視したくはないからで、短歌は従来そこをイコールで捉えられることが多かったが、私は詩歌にも幾らかフィクションが混ざっていて当然だと思う。昨今はフィクションとしての短歌も地位を確立しつつあって喜ばしいことだ!
空の青海のあおさのその間サーフボードの君を見つめる/俵万智
こちらは「八月の朝」から。若山牧水の秀歌「白鳥や哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」を受けたものだが、引用元の印象の利用の仕方が巧すぎる。何にも染まらずに青を切り裂いてゆく鳥は自由で美しいが、その自由さは孤独と同義である。その遠さが断絶の象徴のように見えてやり切れない。同時に、その姿に耐えがたいほどの憧れを覚えてしまう(自分はそうは在れないから)。
サーフボードで海を行く彼は「白鳥のよう」なのだ。明確な言葉はなく、無言のままにこれら全ての感情が読者に伝わる。そこには愛しさと憧れ、そして母性にも似た孤独への憂いがあり、声をかけられないで見つめるしかない物理的距離がその切なさを増幅させていく。こんなことができるものだろうか!たった31音で!!!!
失礼しました。俵万智師匠の歌に関してならいくらでも喋り倒せてしまうのでこの辺りにしておきます。反対に、私は笹井宏之氏の短歌も本当に好きで尊敬しているのですが、氏の歌については私はまだ形容できる言葉を持っていない。というか、語ることすべてが蛇足になってしまう気がして触れないでいる。それくらい繊細で、散文という言葉で触れたら壊れてしまうのではないかと思うほど儚くて、そういう雰囲気が歌集全編に満ちているところが、痛々しく思えて心に大事に抱えているのです。
好きなのは神学、人生をひっくり返されたのは文化人類学!
神学は大学を出てから本格的に触り始めたのでまだまだひよっ子の赤ちゃんですが、特に弁神論に興味、どころではない意志があり、少しずつ本を読んだりしているところです。信仰者とてこの世の悪や聖典の一見矛盾に思える記述に「なぜなのか」という問いに侵されることがあるが、それに対して必ず肯定的な答えを導いてみせる、という覚悟のもと取り組まれている学問なのがとても嬉しい。それは苦闘と研鑽の歴史だ。ちょっと疑問があったからといってすぐに「じゃあ聖典が間違っている」という答えを出してしまうのは早計だと思いませんか。
数多の信仰者がどうやってその疑問を乗り越えてきたのか、過去の偉人たちはどのように考えていたのか、それを知ることができるのだから、その点に限ってはこの時代はとても恵まれているねー。
文化人類学は範囲がかなり幅広いけど、私はオリエンタリズムとかレヴィ=ストロース周辺が面白かったです。因習村の話題が最近流行ってますが、ここ……これ……!!とエドワード・サイード先生の著作を指差して震えている。
人を個という観点からだけではなく、社会構造や習慣から見て初めて分かることもある、そういう視点を学べたのが大きかった。戦うべきものが大きすぎて変革への意志がメコメコになるんだけど、そこはそれ……。
すでにご存知かもしれませんが、私も金銭的事情から同業で働いていた時期があるので、その痛みは身に覚えがある、と思う。その時も、それからずっと後になるまでもそうは思わなかったけど、今は(あくまで自分にとっては)本当に絶望的な、辛い経験だったと思います。社会の健全な姿をまったく信じられなくなった、何を見ても薄皮を隔てたすぐ隣にある暗部を思うようになったのは多分あの時からだろう。
でもおまえが選んだんだろう、とインターネットのあちこちで書かれているのを見ると未だに眉を顰めてしまう。彼らは、思考する力も奪われてしまうような、自らトラウマを再演することでしか生きていけないような、自分を傷つけることを自ら求めてしまうような、そういう切羽詰まった環境に置かれたことがないのだろうか。単に被害者だと言うつもりはないけれど、それでも見ず知らずの第三者が断罪するのは違うだろう。それは自己責任論に収束するものにすぎない。
本当は投稿者さんにはもっと適切なケアが必要なのだと思うけど、それでも私のとこへ送ってくださったから、私に言えることだけは書かせていただきますね。
私があのとき感じた絶望を言葉で言うことができるようになったきっかけがドストエフスキー「罪と罰」を読んだことだった。作中には一人の娼婦が出てくるが、彼女の痛みを思うと脳が痺れるようだった。主人公は人殺しを契機に「もう二度と、誰とも話ができない」という世界からのおぞましい断絶感に恐怖するが、その痛みが、「自分で自分を殺した」娼婦ソーニャの苦しみと同等のものとして描かれているのだ。私はそれを知っていると思った。
>ショッピングモールのメリーゴーランド。街を歩く可愛い服の女の子たち。スーパーでレジを打つふくよかな主婦。私はそれを直視できない。妙な劣等感や僻みじゃなくて、ただ私がそこにいてはいけないという感覚がするだけだ。いるべきではないと本能が悟っているからだ。(─当時の日記)
世界から切り離されてしまった。ずっとそうだったのに、どうして当時は気付かなかったんだろうと空恐ろしく思った。あのときは仕事が「辛い」とさえ思っていなかった。心を守ろうとしていたせいだろう。
あの仕事をしても、平気でいられる人も世の中にはたくさんいる。だから自分だけが弱音を言っていてはいけないと思っていた。だけど私にとってはそうじゃなかった、あれは自分を殺すようなことだった、辛かったのに辛いとさえ思えないくらい自分は「おかしかったんだ」とようやく、それで気付いた。ちょっと正直に書きすぎているな。でもそういうことってあるよ、あるから、自分のしたことが常に「自分が好きで選んだこと」なんて、そんなのは嘘だと言いたいんです。
自分の中の恐ろしい命令に強いられるように、何かに駆り立てられるようにしか生きられないときはある。全てを「あれは自分が好きで選んだことだ」と思い続けなければならないのは本当に苦しいこと。もしそこまで追い込まれたことさえ全てが自分のせいなのだとしたら、「辛かった」とも言えなくなってしまう。言わなければならない。辛かったことは辛かったと言って、今もまだその苦しみの中で呻いている自分を慰めてあげないと、いつまでも心の中の地獄から逃れられなくなってしまう。
投稿者さんは、自分がそこまで追い込まれたことに関して自分を責めていいのか、社会を責めていいのか迷っているように私には感じられ、それは多分、100%こう、という答えはない問いなのだろうと個人的には思います。特に精神を患っているときは「のちのち後悔しない選択」を取ることは不可能に近い。ひとつ言えるとすれば調子が悪いときに重大な決断はしない、反対に調子が良すぎるときにもしない、という経験則くらいですが。
私もまだそのことに限らず、過去には吐き気を催すような記憶を抱えているけど、自分を責め続けることが苦しいのと同様に他者を恨み続けることもまた苦しいことだから、どうにか折り合いをつけられる割合を見つけていくしかないのだと思う。険しい道しか提示できずに申し訳ない。けど、私もそこを行くから。いつかきっと大丈夫になれると信じて、とにかく今日を、明日を生きていきましょう。それを積み重ねているうちになにか見つかるって少なくとも私は、信じている。
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